算数・数学の文章題は国語力と意識力で解くべし☆ [教育]
ども
ほんのり前には
平昌オリンピックなんてボイコットすれば良いのに
とほざいていた某です
過去最多のメダル数とか
選手の涙の記者会見とかを見ると
自身の感覚は浅はかなんだったなぁ~
と反省しきりです
それにしても…
「勝負飯」だの「もぐもぐタイム」だので
「同じのを食べたがる神経」が分からん
と相変わらず毒を吐きたくなる今日この頃です
性格が歪んでるんだろうな
多分きっと恐らく
さて…
前回はいつものテイストとは違って
ほんのり「お堅い」内容でしたが
今回も「真面目」な内容で更新したいと思います
ってか…
今回の内容を記そうと思っていたのに
脱線気味になっちゃったのが前回の記事内容です
前回の記事内にて
「数学は積み重ね」
「算数の躓きが数学にまで影響する」と
子育て世代の不安を
煽るような内容になってしまいましたが
今回も「不安を煽る内容」に成る可能性大です
某が目の当たりにしてる現状によるモノなので
子育て世代の方々には「見る目を養う」ために
お付き合い頂ければ幸いです
算数・数学を苦手とする子の共通認識に
「文章問題が苦手」
ってのがあると思います
計算はそこそこ出来るのに
文章問題の所はからっきし
なんてことはありませんか
某は過去記事内において
「国語は重要」ってのを訴えてますが
前回の内容と合わせて考えて頂ければ
ある程度合点がいくと思います
答えの正誤を優先するが故に
じっくり考えて解く癖が身に付いていないから
今回は算数・数学の文章問題を使って
算数・数学を理解するのに
どれほど国語力と意識力とが重要か
具体的に指摘していきたいと思います
【小5算数・割合】から
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
シンキングタイムスタぁ~トぉ
電卓使っても良いですよぉ~
計算力ではなくて解き方を重視しますんで
さて…
計算力はあるけど
国語力がない生徒はどう解くのか
620×0.25=155
620+155=775
A.775m
式は同じなのに
「155」とか「755」で間違っていては
「計算力強化」が必須です
では…
国語力総動員で問題文を理解してみましょう
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
まずは色文字部分を「意識する」ことが大切です
国語力がない生徒は読んでも文意を理解してません
文字を目で追うことを「読んでる」と勘違いしてるからです
文意を理解するためには
「こそあど言葉(指示語)」も重要です
問題文2行目に「これは」ってありますよね
この「これ」が指す内容は
「(家~学校間の距離)620m」です
上記では( )で区切りましたが
この( )の部分は「意識する部分」で
式に現れるのは「620m」の部分だけです
が…
「意識できていない」から先述のように
620×0.25=155
っていう意味を考えれば謎の計算をしてしまうわけです
次に意識するのは
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
初めに意識した2箇所目の部分です
「何が 何より どれだけ 長い」
っていう文節単位で意味が分かっていないと
正しい式は立てられません
この部分を「指示語の内容」も合わせて考えてみると
これは,家から公園までの道のりより25%長い
これは ←「620m」を指すから
家から公園までの道のりより
25%長い
620mは
家から公園までの道のりより
25%長い
次に算数・数学の文章問題で
式を作る時に役立つ「基本パターン」を使います
「~は」の「は」は「=」に置き換える
「~の-(%・歩合・倍など)」の「の」は「×」に置き換える
「~より-」の語順は「よりの前」を基準にする
これらは多くの問題で役立ちます
阿呆な同業者がこれを見たら
しれっと真似するんでしょうね
ま…いいや…
善良な子育て世代の方への情報提供です
この基本パターンに加えて
「割合の考え方」も重要です
「25%長い」ってことは
「元にする量の125%になる」
って考えるのが割合の考え方です
これらを踏まえてもう一度先の問題文を見直すと…
620mは ←「は」を「=」に置き換えて
家から公園までの道のりより ←「よりの前」を基準にして
25%長い ←「25%長い」は「の125%」になる
「の125%」は「×1.25」になるから
620m=
(家から公園までの道のり)
の125%
620m=(家から公園までの道のり)×1.25
はいっこれで式の基本形が完成
改めて「何を問われているのか」を意識し
算数なので「分からない部分を□に置き換え」れば…
620=□×1.25
「□を使った式」の解き方自体は
小4算数で学習してるので…
620=□×1.25
□×1.25=620
□=620÷1.25
□=496
A.496m
ってなります
「意識する」ことが疎かになってしまうと
先述の通り…
620×0.25=155
この計算が「間違い」だと気付かないんです
「620」も「0.25」も
問題文中に出てきてる値なので
「値や式の意味」に意識が向いてないんです
620×0.25=155
この式を問題文に照らし合わせて
国語的に解釈し直してみると
「家~学校間の距離の25%」
を求めていることになり
問題を解く要の「公園~学校間の25%」が
式には現れてきません
幾ら計算力があっても
数字や式の意味が国語的に理解出来なければ
正しい答えなんか導き出せません
2×3=6
これだけ見れば
何が間違っているのかさっぱりですが
「2の意味は2時間の2」
「3の意味は家から学校までの距離3kmの3」
っていう意味が与えられれば
(2時間)×(距離3km)
ってのを計算して何が出ますか
「時速3kmの3」であれば
「距離」が求められますが
(時間)×(距離)で出た値に意味はありません
「速さ・時間・距離」に関する文章問題は
小6算数「単位量あたりの大きさ」の続きで学習します
先の問題の間違った式と同じように
単に「問題文中の値を使って式を立てた」
っていう解き方では
どんなに正しい計算をしても
問題で問われていない値を
何の疑いも無く求めてることもあります
小4算数の中盤までは
問題文に出てきた値をそのまま式に使えば
殆どの問題を解くことも出来ますが
「2回計算する必要がある問題」とかに出会すと
「何を求めたのか」っていう意識が向かなければ
「1回計算して出た値が答え」って早合点して
解答欄にその答えを記載して「不正解」
っていうミスが増えてくると思います
この手のミスを算数時代において
単に「間違えた」で軽く済ませてしまうと
ずっと同じようなミスを
何年も繰り返してしまう可能性があります
それに…
「2回計算問題(←勝手に命名)」ってのは
「応用問題扱い」なので
テストとかでの出現率は「1~2問」程度で滅法低い
それ故…
親も「ま…1問くらいしゃ~ないか」ってなりがち
でも…
小学5~中3と学年が上がるにつれて
「2回計算問題」だの「3回計算問題」だの
ステップを踏まないと答えが出ない問題ばっかり
「答えを導き出す過程」に意識が向いていないと
学年が進むにつれて
算数・数学の点数が下がってしまいます
細かいところまで目を皿のようにして問題を見なくても
先述の「は」「の」「より」とかの
「助詞」に着目して
あとは豊富な経験を元に
問題文と我が子の式を見比べれば
解き方の正誤なんて
大方把握できるんじゃないでしょうか
それに…
全てを理解しなくても
ちょっとだけでも「ピシッ」と指摘して
的確にアドバイスできれば
「ほらな…分かったでしょ
はいっ
あとは自分でよくよく考えなさい」
って自学自習の大切さを説いて
机に向かうように促すことだって可能です
親側の伝家の宝刀「自分で考えなさい」
ただ…
これを効果的に使いこなすには
「ちょっとくらい」は
子の勉強が理解出来ないといけません
もひとつ…
「小6算数:割合」の問題でも練習してみましょう
ある品物を定価の2割引きで買って1680円払いました。
この品物の定価は何円ですか。
れッつシンキぃ~ング
って2回目なのでとっとと進めます
目の当たりにしたミスは…
1680×0.2=336
1680+336=2016
A.2016円
って奴です
「仕入れ値・原価」「定価」「売値」とかの概念は
算数ではなく国語でも必要です
「読める」のと「意味を理解する」ってのは
算数の文章問題以前に「国語力」として必要でしょ
何度も言いますが…
1680×0.2
っていう「小数の計算」が出来る計算力があっても
「数字と式の意味」を理解する国語力がなければ
この手の問題はいつまで経っても解けません
定価と売値・買値が同じであれば
「10割・100%」で「1倍」
そこから「2割(20%)引く」んだから
「定価の8割(80%)で買える」
ってことで問題文は
「買値は定価の8割」と換言できるので
先と同じように「は」「の」を「=」「×」に置換して
「買値=定価×0.8」って式の原形を作り
「買値」「定価」を問題中の値に置換して
「1680円=□×0.8」 ←はいっ式完成
よって…
1680=□×0.8
□×0.8=1680 ←左右をそのまま入れ替え
□=1680÷0.8 ←「□×2=6」の解き方と同じ
□=2100 ←ここが「計算力」
A.2100円
算数・数学において「計算力は必須」ですが
その力を発揮する前段階までは
「国語力」「理解力」が重要です
「国語」をしっかりと勉強すれば
「算数・数学」にも影響が出て来るのに
単独学習が可能な
「英語」ばっかりに注力してて良いんですか
ってか…
学校の先生はどうやって教えてるんだろ
小学生の解き方を見ていると
いきなり「□=1680÷0.8」
って式から書き出すパターンが多い気がします
「=(等号)」の概念もしっかり触れないまま
「こういう問題はこう解く」っていう
パターン化を優先させて解かせてる気がします
「パターン化して解く」なんてのは
「高校数学」からで充分ちゃうの
過去にも何回か触れてる言い回しですが…
「考えて解くこと」は出来るけど
効率優先で「パターン化して解く」のと
「なんかよく分からん」けど
「こんな感じで解いてた」からって
何でもかんでも「感覚でパターン化して解く」のとでは
雲泥の差です
後者の典型的な生徒の反応は…
この式違うぞ…
え…あっ…「+」か
ってな感じで
「+」で間違えたから「-」に直す
「×」で間違えたから「÷」に直す
またはこれらそれぞれの「逆」に直す
熟考することなく
「計算記号」を変えたり
「数字の順序」を変えたり
ってな直し方を瞬発的にする子は要注意です
式や数字の意味を考えること無く
「足し算で間違えたら引き算」
「かけ算で間違えたら割り算」ってな感じで
「直し方自体がパターン化」されちゃってます
この場合だと先にも挙げた
「2回計算問題」とかになると
「この答え間違ってるぞ」
っていう指摘だけすると
「何処で間違えたか」すら確認しないまま
計算過程を「全消し」して
「意味不明な計算」を直しと勘違いしたまま
正誤判定を求めてくることになります
「2回計算する必要がある」
ってのに気付かず
「1回の計算が間違ってる」
って思い込んでしまってるんです
「2回計算する必要がある」っていう
具体的な指示がないと解けない子は
数学でも同じミスを平気で繰り返します
例えば…
a=2,b=-3のとき,
2(3ab-1)+a(b+2b)-5abの値を求めなさい
っていう問題で…
2(3ab-1)+a(b+2)-5ab
=6ab-2+ab+2a-5ab
=2ab+2a-2
A.2ab+2a-2
って回答用紙に書き込んでしまいます
「値を求めなさい」ってのを
「計算しなさい」って
何の疑いも無く思い込んで
解いてしまうんですよね
もう…
この手のミスは「無意識」なので
問題を読んでる読んでない以前のミスになります
式を見た瞬間…
「この式を計算する」のは良いんですが
算数時代からの「1回計算したらそれが答え」
っていう感覚が染みついていて
「値を代入して,もっかい計算する」
っていう所まで意識が回らないんですよね
この問題を解くのに必要な知識である
「分配法則」「同類項の計算」が習得出来ていても
「式の値」の意識が飛んでいては
正しい計算をしているにも関わらず
「正解に辿り着けない」状況になります
この手のミスは
「点数」だけを見ていては
なかなか気付かないもんです
数学が苦手な親の立場でも
「何を聞かれて」「何を答える」のか
国語的に捉えることが出来れば
「これ答えちゃうやんか」
くらいの一喝は出来ると思うんですが…
「数学はもう分からない」っていう
これまた「親の思い込み」で
学校だの塾だの何だのかんだのに丸投げ
もう私は分からないんですから
ちゃんと見て貰わないと困ります
みたいなスタンス
学校と家庭
家庭と塾・教材
学校と塾・教材
学校と家庭と塾・教材
それぞれは「補完」することは出来ますが
単独で全てを担うのは
無理があるってもんです
そして何より…
その「子」を大事に思っているのは
「親」じゃないんですか
にも関わらず
「丸投げ」していいんですか
お風呂に一緒に入りながら
「50まで」とか「100まで」とか
「数を数える」ってことは教えませんでしたか?
自転車の補助輪なしに乗れるまで
自転車の後ろ部分を押さえてあげませんでしたか?
絵本の読み聞かせを通じて
想像力を刺激しませんでしたか?
おもちゃを与えて
「言葉」と「実物」の繋がりを
関連付けてあげませんでしたか?
これらの期間は
「親が先生の代わり」を買って出たのに
本物の先生が現れたら
「いきなりゼロ」ですか
ぶっちゃけ…
学校の先生なんて公務員
毎日数十人を相手に孤軍奮闘してるんですもん
「親の代わり」なんて務まりません
ましてや…
「先生=神」なわけないんですから
「先生=全て正しい」分けないでしょな
それでなくても毎日のように
「糞教師の問題」がニュースに上がってるのに
業務の多さに先生も疲弊してしまうのは
充分理解出来ます
だからこそ…
「先生に丸投げ」は
我が子にとって良くないんですよ
我が子の将来を憂うならこそ
「適度に干渉する必要がある」んです
なにも…勉強に限らず
作法であったり礼儀・礼節であったり
躾であったり言葉遣いであったり
思いやりであったり価値観であったり…
こんなものは
学校で教えられるもんじゃないでしょな
勉強に限って言えば…
先生が糞だろうが何だろうが
子は「評価される側」であることは覆しようがありません
その下された「評価」で
進路に影響が出るのも否めません
しかし…だからといって
「絶対服従」する必要はないと思います
妄信するのではなく
「ある程度は先生に任せ」つつも
「ある程度は自分で担う」覚悟で
子に接しないと
安心して親離れしてくれる子には育たない
と思います
しっかりと自立できるよう成長して貰うためにも…
「ちょっとくらい」は勉強を通じて
「時間を共有してあげる」ことが大事だと思います
それは「子が幾つになっても」
子が何歳になろうが…
親は親
子は子
子が幼い内は親が導き
加齢で親が衰えてきたら子が支え
っていう関係が築けるかどうかは
「その間の関わり方」が大きく左右すると思います
子に勉強を教えることだけ
が重要なのではなく
子が勉強する時間を如何に共有するか
が重要だと思います
「英会話」は「英語に関してだけ」共有できますが
「国語」は「国数英の3倍」共有できると思います
英語至上主義反対
結局はそこへ落ち着くんですけどね
勉強を教えてあげる
のではなく
勉強してるのを見てあげる
だけでも充分愛情は注げますよ
見てあげてるところに
時々「ちょろっと教える」ことが出来れば
それだけで「親の威厳」は保てる
ってもんです
全部親が教えてしまって
「親の威厳」が強すぎると
学校での立ち振る舞いが教師の反感を買い
「意欲・関心・態度」とかの項目で
とばっちりを食らう可能性が出てきますけどね
先生も人の子
生意気で言うこと聞かなくて成績が良い子と
勉強は出来ないけど一生懸命で素直な子だったら
後者を気に掛けて面倒見たくなる
のは必然でしょ
「適度に」「程々に」ってのも大事です
過ぎたるは及ばざるが如し
あれ…
手元には中2の数学テキストまで用意して
もっと文章問題を取り上げるつもりだったのに
なんでだろ疲れてるのかな
だったら…
もっと短い記事で終わっとけぇ~
はい
頑張れ子育て世代
では今回はこの辺で
ほんのり前には
平昌オリンピックなんてボイコットすれば良いのに
とほざいていた某です
過去最多のメダル数とか
選手の涙の記者会見とかを見ると
自身の感覚は浅はかなんだったなぁ~
と反省しきりです
それにしても…
「勝負飯」だの「もぐもぐタイム」だので
「同じのを食べたがる神経」が分からん
と相変わらず毒を吐きたくなる今日この頃です
性格が歪んでるんだろうな
多分きっと恐らく
さて…
前回はいつものテイストとは違って
ほんのり「お堅い」内容でしたが
今回も「真面目」な内容で更新したいと思います
ってか…
今回の内容を記そうと思っていたのに
脱線気味になっちゃったのが前回の記事内容です
前回の記事内にて
「数学は積み重ね」
「算数の躓きが数学にまで影響する」と
子育て世代の不安を
煽るような内容になってしまいましたが
今回も「不安を煽る内容」に成る可能性大です
某が目の当たりにしてる現状によるモノなので
子育て世代の方々には「見る目を養う」ために
お付き合い頂ければ幸いです
算数・数学を苦手とする子の共通認識に
「文章問題が苦手」
ってのがあると思います
計算はそこそこ出来るのに
文章問題の所はからっきし
なんてことはありませんか
某は過去記事内において
「国語は重要」ってのを訴えてますが
前回の内容と合わせて考えて頂ければ
ある程度合点がいくと思います
答えの正誤を優先するが故に
じっくり考えて解く癖が身に付いていないから
今回は算数・数学の文章問題を使って
算数・数学を理解するのに
どれほど国語力と意識力とが重要か
具体的に指摘していきたいと思います
【小5算数・割合】から
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
シンキングタイムスタぁ~トぉ
電卓使っても良いですよぉ~
計算力ではなくて解き方を重視しますんで
さて…
計算力はあるけど
国語力がない生徒はどう解くのか
620×0.25=155
620+155=775
A.775m
式は同じなのに
「155」とか「755」で間違っていては
「計算力強化」が必須です
では…
国語力総動員で問題文を理解してみましょう
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
まずは色文字部分を「意識する」ことが大切です
国語力がない生徒は読んでも文意を理解してません
文字を目で追うことを「読んでる」と勘違いしてるからです
文意を理解するためには
「こそあど言葉(指示語)」も重要です
問題文2行目に「これは」ってありますよね
この「これ」が指す内容は
「(家~学校間の距離)620m」です
上記では( )で区切りましたが
この( )の部分は「意識する部分」で
式に現れるのは「620m」の部分だけです
が…
「意識できていない」から先述のように
620×0.25=155
っていう意味を考えれば謎の計算をしてしまうわけです
次に意識するのは
りょ~さん☆の家から学校までは620mあります。
これは,家から公園までの道のりより25%長いそうです。
家から公園までは何mありますか。
初めに意識した2箇所目の部分です
「何が 何より どれだけ 長い」
っていう文節単位で意味が分かっていないと
正しい式は立てられません
この部分を「指示語の内容」も合わせて考えてみると
これは,家から公園までの道のりより25%長い
これは ←「620m」を指すから
家から公園までの道のりより
25%長い
620mは
家から公園までの道のりより
25%長い
次に算数・数学の文章問題で
式を作る時に役立つ「基本パターン」を使います
「~は」の「は」は「=」に置き換える
「~の-(%・歩合・倍など)」の「の」は「×」に置き換える
「~より-」の語順は「よりの前」を基準にする
これらは多くの問題で役立ちます
阿呆な同業者がこれを見たら
しれっと真似するんでしょうね
ま…いいや…
善良な子育て世代の方への情報提供です
この基本パターンに加えて
「割合の考え方」も重要です
「25%長い」ってことは
「元にする量の125%になる」
って考えるのが割合の考え方です
これらを踏まえてもう一度先の問題文を見直すと…
620mは ←「は」を「=」に置き換えて
家から公園までの道のりより ←「よりの前」を基準にして
25%長い ←「25%長い」は「の125%」になる
「の125%」は「×1.25」になるから
620m=
(家から公園までの道のり)
の125%
620m=(家から公園までの道のり)×1.25
はいっこれで式の基本形が完成
改めて「何を問われているのか」を意識し
算数なので「分からない部分を□に置き換え」れば…
620=□×1.25
「□を使った式」の解き方自体は
小4算数で学習してるので…
620=□×1.25
□×1.25=620
□=620÷1.25
□=496
A.496m
ってなります
「意識する」ことが疎かになってしまうと
先述の通り…
620×0.25=155
この計算が「間違い」だと気付かないんです
「620」も「0.25」も
問題文中に出てきてる値なので
「値や式の意味」に意識が向いてないんです
620×0.25=155
この式を問題文に照らし合わせて
国語的に解釈し直してみると
「家~学校間の距離の25%」
を求めていることになり
問題を解く要の「公園~学校間の25%」が
式には現れてきません
幾ら計算力があっても
数字や式の意味が国語的に理解出来なければ
正しい答えなんか導き出せません
2×3=6
これだけ見れば
何が間違っているのかさっぱりですが
「2の意味は2時間の2」
「3の意味は家から学校までの距離3kmの3」
っていう意味が与えられれば
(2時間)×(距離3km)
ってのを計算して何が出ますか
「時速3kmの3」であれば
「距離」が求められますが
(時間)×(距離)で出た値に意味はありません
「速さ・時間・距離」に関する文章問題は
小6算数「単位量あたりの大きさ」の続きで学習します
先の問題の間違った式と同じように
単に「問題文中の値を使って式を立てた」
っていう解き方では
どんなに正しい計算をしても
問題で問われていない値を
何の疑いも無く求めてることもあります
小4算数の中盤までは
問題文に出てきた値をそのまま式に使えば
殆どの問題を解くことも出来ますが
「2回計算する必要がある問題」とかに出会すと
「何を求めたのか」っていう意識が向かなければ
「1回計算して出た値が答え」って早合点して
解答欄にその答えを記載して「不正解」
っていうミスが増えてくると思います
この手のミスを算数時代において
単に「間違えた」で軽く済ませてしまうと
ずっと同じようなミスを
何年も繰り返してしまう可能性があります
それに…
「2回計算問題(←勝手に命名)」ってのは
「応用問題扱い」なので
テストとかでの出現率は「1~2問」程度で滅法低い
それ故…
親も「ま…1問くらいしゃ~ないか」ってなりがち
でも…
小学5~中3と学年が上がるにつれて
「2回計算問題」だの「3回計算問題」だの
ステップを踏まないと答えが出ない問題ばっかり
「答えを導き出す過程」に意識が向いていないと
学年が進むにつれて
算数・数学の点数が下がってしまいます
細かいところまで目を皿のようにして問題を見なくても
先述の「は」「の」「より」とかの
「助詞」に着目して
あとは豊富な経験を元に
問題文と我が子の式を見比べれば
解き方の正誤なんて
大方把握できるんじゃないでしょうか
それに…
全てを理解しなくても
ちょっとだけでも「ピシッ」と指摘して
的確にアドバイスできれば
「ほらな…分かったでしょ
はいっ
あとは自分でよくよく考えなさい」
って自学自習の大切さを説いて
机に向かうように促すことだって可能です
親側の伝家の宝刀「自分で考えなさい」
ただ…
これを効果的に使いこなすには
「ちょっとくらい」は
子の勉強が理解出来ないといけません
もひとつ…
「小6算数:割合」の問題でも練習してみましょう
ある品物を定価の2割引きで買って1680円払いました。
この品物の定価は何円ですか。
れッつシンキぃ~ング
って2回目なのでとっとと進めます
目の当たりにしたミスは…
1680×0.2=336
1680+336=2016
A.2016円
って奴です
「仕入れ値・原価」「定価」「売値」とかの概念は
算数ではなく国語でも必要です
「読める」のと「意味を理解する」ってのは
算数の文章問題以前に「国語力」として必要でしょ
何度も言いますが…
1680×0.2
っていう「小数の計算」が出来る計算力があっても
「数字と式の意味」を理解する国語力がなければ
この手の問題はいつまで経っても解けません
定価と売値・買値が同じであれば
「10割・100%」で「1倍」
そこから「2割(20%)引く」んだから
「定価の8割(80%)で買える」
ってことで問題文は
「買値は定価の8割」と換言できるので
先と同じように「は」「の」を「=」「×」に置換して
「買値=定価×0.8」って式の原形を作り
「買値」「定価」を問題中の値に置換して
「1680円=□×0.8」 ←はいっ式完成
よって…
1680=□×0.8
□×0.8=1680 ←左右をそのまま入れ替え
□=1680÷0.8 ←「□×2=6」の解き方と同じ
□=2100 ←ここが「計算力」
A.2100円
算数・数学において「計算力は必須」ですが
その力を発揮する前段階までは
「国語力」「理解力」が重要です
「国語」をしっかりと勉強すれば
「算数・数学」にも影響が出て来るのに
単独学習が可能な
「英語」ばっかりに注力してて良いんですか
ってか…
学校の先生はどうやって教えてるんだろ
小学生の解き方を見ていると
いきなり「□=1680÷0.8」
って式から書き出すパターンが多い気がします
「=(等号)」の概念もしっかり触れないまま
「こういう問題はこう解く」っていう
パターン化を優先させて解かせてる気がします
「パターン化して解く」なんてのは
「高校数学」からで充分ちゃうの
過去にも何回か触れてる言い回しですが…
「考えて解くこと」は出来るけど
効率優先で「パターン化して解く」のと
「なんかよく分からん」けど
「こんな感じで解いてた」からって
何でもかんでも「感覚でパターン化して解く」のとでは
雲泥の差です
後者の典型的な生徒の反応は…
この式違うぞ…
え…あっ…「+」か
ってな感じで
「+」で間違えたから「-」に直す
「×」で間違えたから「÷」に直す
またはこれらそれぞれの「逆」に直す
熟考することなく
「計算記号」を変えたり
「数字の順序」を変えたり
ってな直し方を瞬発的にする子は要注意です
式や数字の意味を考えること無く
「足し算で間違えたら引き算」
「かけ算で間違えたら割り算」ってな感じで
「直し方自体がパターン化」されちゃってます
この場合だと先にも挙げた
「2回計算問題」とかになると
「この答え間違ってるぞ」
っていう指摘だけすると
「何処で間違えたか」すら確認しないまま
計算過程を「全消し」して
「意味不明な計算」を直しと勘違いしたまま
正誤判定を求めてくることになります
「2回計算する必要がある」
ってのに気付かず
「1回の計算が間違ってる」
って思い込んでしまってるんです
「2回計算する必要がある」っていう
具体的な指示がないと解けない子は
数学でも同じミスを平気で繰り返します
例えば…
a=2,b=-3のとき,
2(3ab-1)+a(b+2b)-5abの値を求めなさい
っていう問題で…
2(3ab-1)+a(b+2)-5ab
=6ab-2+ab+2a-5ab
=2ab+2a-2
A.2ab+2a-2
って回答用紙に書き込んでしまいます
「値を求めなさい」ってのを
「計算しなさい」って
何の疑いも無く思い込んで
解いてしまうんですよね
もう…
この手のミスは「無意識」なので
問題を読んでる読んでない以前のミスになります
式を見た瞬間…
「この式を計算する」のは良いんですが
算数時代からの「1回計算したらそれが答え」
っていう感覚が染みついていて
「値を代入して,もっかい計算する」
っていう所まで意識が回らないんですよね
この問題を解くのに必要な知識である
「分配法則」「同類項の計算」が習得出来ていても
「式の値」の意識が飛んでいては
正しい計算をしているにも関わらず
「正解に辿り着けない」状況になります
この手のミスは
「点数」だけを見ていては
なかなか気付かないもんです
数学が苦手な親の立場でも
「何を聞かれて」「何を答える」のか
国語的に捉えることが出来れば
「これ答えちゃうやんか」
くらいの一喝は出来ると思うんですが…
「数学はもう分からない」っていう
これまた「親の思い込み」で
学校だの塾だの何だのかんだのに丸投げ
もう私は分からないんですから
ちゃんと見て貰わないと困ります
みたいなスタンス
学校と家庭
家庭と塾・教材
学校と塾・教材
学校と家庭と塾・教材
それぞれは「補完」することは出来ますが
単独で全てを担うのは
無理があるってもんです
そして何より…
その「子」を大事に思っているのは
「親」じゃないんですか
にも関わらず
「丸投げ」していいんですか
お風呂に一緒に入りながら
「50まで」とか「100まで」とか
「数を数える」ってことは教えませんでしたか?
自転車の補助輪なしに乗れるまで
自転車の後ろ部分を押さえてあげませんでしたか?
絵本の読み聞かせを通じて
想像力を刺激しませんでしたか?
おもちゃを与えて
「言葉」と「実物」の繋がりを
関連付けてあげませんでしたか?
これらの期間は
「親が先生の代わり」を買って出たのに
本物の先生が現れたら
「いきなりゼロ」ですか
ぶっちゃけ…
学校の先生なんて公務員
毎日数十人を相手に孤軍奮闘してるんですもん
「親の代わり」なんて務まりません
ましてや…
「先生=神」なわけないんですから
「先生=全て正しい」分けないでしょな
それでなくても毎日のように
「糞教師の問題」がニュースに上がってるのに
業務の多さに先生も疲弊してしまうのは
充分理解出来ます
だからこそ…
「先生に丸投げ」は
我が子にとって良くないんですよ
我が子の将来を憂うならこそ
「適度に干渉する必要がある」んです
なにも…勉強に限らず
作法であったり礼儀・礼節であったり
躾であったり言葉遣いであったり
思いやりであったり価値観であったり…
こんなものは
学校で教えられるもんじゃないでしょな
勉強に限って言えば…
先生が糞だろうが何だろうが
子は「評価される側」であることは覆しようがありません
その下された「評価」で
進路に影響が出るのも否めません
しかし…だからといって
「絶対服従」する必要はないと思います
妄信するのではなく
「ある程度は先生に任せ」つつも
「ある程度は自分で担う」覚悟で
子に接しないと
安心して親離れしてくれる子には育たない
と思います
しっかりと自立できるよう成長して貰うためにも…
「ちょっとくらい」は勉強を通じて
「時間を共有してあげる」ことが大事だと思います
それは「子が幾つになっても」
子が何歳になろうが…
親は親
子は子
子が幼い内は親が導き
加齢で親が衰えてきたら子が支え
っていう関係が築けるかどうかは
「その間の関わり方」が大きく左右すると思います
子に勉強を教えることだけ
が重要なのではなく
子が勉強する時間を如何に共有するか
が重要だと思います
「英会話」は「英語に関してだけ」共有できますが
「国語」は「国数英の3倍」共有できると思います
英語至上主義反対
結局はそこへ落ち着くんですけどね
勉強を教えてあげる
のではなく
勉強してるのを見てあげる
だけでも充分愛情は注げますよ
見てあげてるところに
時々「ちょろっと教える」ことが出来れば
それだけで「親の威厳」は保てる
ってもんです
全部親が教えてしまって
「親の威厳」が強すぎると
学校での立ち振る舞いが教師の反感を買い
「意欲・関心・態度」とかの項目で
とばっちりを食らう可能性が出てきますけどね
先生も人の子
生意気で言うこと聞かなくて成績が良い子と
勉強は出来ないけど一生懸命で素直な子だったら
後者を気に掛けて面倒見たくなる
のは必然でしょ
「適度に」「程々に」ってのも大事です
過ぎたるは及ばざるが如し
あれ…
手元には中2の数学テキストまで用意して
もっと文章問題を取り上げるつもりだったのに
なんでだろ疲れてるのかな
だったら…
もっと短い記事で終わっとけぇ~
はい
頑張れ子育て世代
では今回はこの辺で
単純なんですけどね…私、暗算で出来ました(^^♪
by トレンダー櫻井 (2018-03-02 05:44)
距離の問題は文章を読みながら絵を書いて解いてましたね^^;
by ぽちの輔 (2018-03-02 06:46)
う~ん、遙か昔の話だから記憶に残ってませんが
どの教科にも理解力(国語力)は必要ですよね(*_*)
最近はトクに国語ってあまり重視されてない気が・・・^^;
by ニッキー (2018-03-02 12:41)
トレンダー櫻井さん☆
いつもコメントありがとうございます♪
暗算で求めちゃいましたか(^0^;)まだまだ計算は現役バリバリですね( ̄。 ̄;)
某は暗算は苦手なので計算メモを絶賛活用中ですσ(^◇^;)
by りょ〜さん☆ (2018-03-02 15:04)
ぽちの輔さん☆
いつもコメントありがとうございます♪
そうですよ!自発的に解こうと思えば図や絵を活用して考えるんですが…説明の段階で図の活用を散々言うても…いざ自分で解く・テストで解くってなると図を書くことすら放棄して「わからへんかっら」で済ます子がなんと多いことか(;゜ロ゜)
与えられた知識を自分なりに活用するって能力が滅茶苦茶欠如してると思える今日この頃ですσ(^◇^;)
by りょ〜さん☆ (2018-03-02 15:08)
ニッキーさん☆
いつもコメントありがとうございます♪
そうなんですよ(;゜ロ゜)「国語」って母国語なのに…論理的に読み砕くって感じのアプローチは皆無みたいなんですよね( ̄。 ̄;)
文法の時間数もめっちゃ少ない気がしますしσ(^◇^;)せめて「主語・述語・修飾語」をもっとしっかり勉強すれば,その知識はそのまま文章問題にも活かせると思うんですけどねσ(^◇^;)
英語よりまずは国語!我が家はそれで行きます☆←気が早すぎ…
by りょ〜さん☆ (2018-03-02 15:13)
算数は、一度わからなくなっちゃうと後々大変なので
ついていけるようがんばって教えています。
今の担任もすごく良い先生で、話す機会がある時は
どこが苦手なのか教えてくれて、では家庭でも
フォローしておきますとうまく連携してできてるかなと。
どのくらい理解できてるか把握しておきたいから
まだしばらくは、教材で家庭学習をと思ってるけど
そろそろ教える方も厳しくなってきたかな(^^;
私自身の脳トレにもなるかなと、一緒に勉強しなおしですね。
文章を読み解く力がないのは、息子もそうで悩みの種です><
by little_me (2018-03-05 15:43)
little_meさん☆
いつもコメントありがとうございます♪
ほんと…算数・数学は積み重ねですから( ̄。 ̄;)
算数の知識は存分に数学で活かすことが出来ます☆
合い言葉は「中学で困るから」ですね♪
担任との連携が上手く機能してるのはいいですね☆(o^^o)
某が受け持ってる生徒はどうもその辺が上手くいってないような気がしてなりません( ̄。 ̄;)
「把握しておきたい」って意識が希薄なのと手が回らないのと「任せてる」とかの色々な要因が絡んでるんだと思うんですが…
子どもは「今の自分のこと」だけ考え,親は「数年先の子のこと」を考えていて,根本的にギャップがありますからね(^0^;)だからこそ,ある程度は親がイニシアチブを握って誘導する方が賢明だと思います☆
年重ねるにつれて…子が親の手から離れだし…自己責任で人生の選択をしていくのは勝手ですが…アドバイスはし続けてあげないとと思っています♪
by りょ〜さん☆ (2018-03-05 16:28)