音読と国語力の関係 [教育]
国語って母国語の割には
テスト勉強の時間は
あまり費やして貰えないみたいです
「国語もちゃんと勉強したんけぇ」と聞いても
「漢字は覚えたで」との返事が鉄板です
何年生に聞いても殆ど変わりません
どうしてなんでしょう
国語の勉強方法が分からない
或いは…
ま…なんとかなるやろ
って気持ちが大きいんでしょうか
恐らく…
両方だと思います
また算数・数学は出来るのに
国語になると苦手意識満開
なんて言う子も多々見てきました
この逆もまた然りなんですが
算数・数学が出来て
国語が苦手な場合と
国語が出来て
算数・数学が苦手な場合とでは
どちらが重傷…
ってか点差が大きいんでしょうか
今改めて気になりましたが
そう言えば…
散々検証する機会があったにも関わらず
実際にデータ検証した試しがありません
この数年…
ちょっぴり思うのが
「音読が苦手な子は国語が苦手」
と言う傾向にあるのではないか
ってことです
音読が得意というか
すらすら(速く読めばいいってもんじゃないですが)読める子と
音読が苦手で
詰まりながら読んだり
文章を勝手に変えたりして読んでしまう子とでは
顕著に点差になって表れてしまうように思えます
某の独断と偏見で分析してみるならば
語彙力に欠けるから
単語の切れ目が分からない
単語の切れ目で読むのではなく
息継ぎで読んでしまったり
自分が知ってる
よく似た言葉を勝手に置き換えて読んだりしてしまうから
文の意味の繋がりが分からなくなってしまい
理解できないまま読み進めているのではないか
文章読んだ
と読み終わった直後に問いかけると
うん
という返事が返ってきますが
どんな内容やった?
登場人物はだれ?
どこで何してた?
などを聞くと…
その答えが分かるところまで
また初めから黙読し始める子がいます
国語が苦手
算数数学の文章問題が苦手
理科の問題の文字数が多くて
実験絡みの問題になると分からない
っていう感覚の生徒たちは
文章を読む = 目で文字を追う
だけ
の作業で終わっているような気がしてなりません
例えば「にわかに」という単語があったとして
平仮名表記なので当然「にわかに」と頭の中なり
声に出したりで「読める」んですが
「にわかにの意味は…」
なんてことは考えながら読むことはありません
「左衛門は目の前の光景がにわかには受け入れがたかった」
とかなんとかの文章を読んでも
「どういう状況なのか」など
当然読みながら考えないんです
国語ですら「場面」や「心情」を
考えながら読もうとしないから
算数数学や理科の問題文中の値の意味も
考えて計算できず
素っ頓狂な答えが出ても違和感を抱かないんでしょうね
某は「単なる暗記」と言うのが大の苦手で
覚えるだけ
って言うのがなかなか出来ません
暗記が得意な子にしてみれば
語彙力はいくらでものばせる
と思うのは浅はかなんでしょうか
語彙力が伸びれば
自然と文章の意味が分かると思うんですが
某が読書に目覚めた高校生の頃
「語彙力」なんて言葉は勿論知らなかったですし
国語辞典片手に小説を読んでたモノです
村上龍氏の本は妙にカタカナが多かった印象を受けたので
挙げ句の果てには「カタカナ語辞典」まで買って
村上龍氏の本に出てきたカタカナは
辞書にマーカー入れたりしたモノです
語意が分からなければ
ちんぷんかんぷんだった龍氏の本でも
調べながら調べながら
何冊も何冊も読むにつれて
すっかり填ってしまって
高校時代に国語の点数が急上昇でした
「国語の勉強」という位置づけで
問題集を解きまくった訳ではないのですが
語彙力を身に付け
内容を理解しようと読んだだけで
自然と結果が付いてきました
語彙力が上がると
文章がすらすら音読できるはず
逆に…
語彙力が無ければ
簡単な文章でも詰まりながら
あるいは区切りを付けるところが変な感じでしか
音読出来ないはず
語彙力というと難しい感じがしますが
ようは「言葉を知っているかどうか」
「知識があるかどうか」ということだと思います
簡単すぎる例で見てみると
大阪府立体育館/京都府立体育館
これを音読する際に
「おおさか(きょうと)ふりつ/たいいくかん」
と区切って読むのが大多数だと思いますが
もう少し細かく区切るとなると
「おおさかふ(きょうよふ)/りつたいいくかん」
「おおさか(きょうと)/ふりつ/たいいくかん」
上記のような微妙な違いで区切る子が出てきます
前者は「都道府県名」を優先して認識してしまっているので
「おおさかふ(きょうとふ)」で区切ってしまいます
「府立=府が立てた」と熟語の成り立ちが理解出来ていれば
後者の区切り方になるはずです
ひとつの単語を挙げてみましたが
これが文章の中となると
そりゃもう読める読めないの差が酷いもんです
もしお子さんの国語が芳しくないようでしたら
教科書を音読させて聞いてみるのは如何でしょうか?
テスト勉強の時間は
あまり費やして貰えないみたいです
「国語もちゃんと勉強したんけぇ」と聞いても
「漢字は覚えたで」との返事が鉄板です
何年生に聞いても殆ど変わりません
どうしてなんでしょう
国語の勉強方法が分からない
或いは…
ま…なんとかなるやろ
って気持ちが大きいんでしょうか
恐らく…
両方だと思います
また算数・数学は出来るのに
国語になると苦手意識満開
なんて言う子も多々見てきました
この逆もまた然りなんですが
算数・数学が出来て
国語が苦手な場合と
国語が出来て
算数・数学が苦手な場合とでは
どちらが重傷…
ってか点差が大きいんでしょうか
今改めて気になりましたが
そう言えば…
散々検証する機会があったにも関わらず
実際にデータ検証した試しがありません
この数年…
ちょっぴり思うのが
「音読が苦手な子は国語が苦手」
と言う傾向にあるのではないか
ってことです
音読が得意というか
すらすら(速く読めばいいってもんじゃないですが)読める子と
音読が苦手で
詰まりながら読んだり
文章を勝手に変えたりして読んでしまう子とでは
顕著に点差になって表れてしまうように思えます
某の独断と偏見で分析してみるならば
語彙力に欠けるから
単語の切れ目が分からない
単語の切れ目で読むのではなく
息継ぎで読んでしまったり
自分が知ってる
よく似た言葉を勝手に置き換えて読んだりしてしまうから
文の意味の繋がりが分からなくなってしまい
理解できないまま読み進めているのではないか
文章読んだ
と読み終わった直後に問いかけると
うん
という返事が返ってきますが
どんな内容やった?
登場人物はだれ?
どこで何してた?
などを聞くと…
その答えが分かるところまで
また初めから黙読し始める子がいます
国語が苦手
算数数学の文章問題が苦手
理科の問題の文字数が多くて
実験絡みの問題になると分からない
っていう感覚の生徒たちは
文章を読む = 目で文字を追う
だけ
の作業で終わっているような気がしてなりません
例えば「にわかに」という単語があったとして
平仮名表記なので当然「にわかに」と頭の中なり
声に出したりで「読める」んですが
「にわかにの意味は…」
なんてことは考えながら読むことはありません
「左衛門は目の前の光景がにわかには受け入れがたかった」
とかなんとかの文章を読んでも
「どういう状況なのか」など
当然読みながら考えないんです
国語ですら「場面」や「心情」を
考えながら読もうとしないから
算数数学や理科の問題文中の値の意味も
考えて計算できず
素っ頓狂な答えが出ても違和感を抱かないんでしょうね
某は「単なる暗記」と言うのが大の苦手で
覚えるだけ
って言うのがなかなか出来ません
暗記が得意な子にしてみれば
語彙力はいくらでものばせる
と思うのは浅はかなんでしょうか
語彙力が伸びれば
自然と文章の意味が分かると思うんですが
某が読書に目覚めた高校生の頃
「語彙力」なんて言葉は勿論知らなかったですし
国語辞典片手に小説を読んでたモノです
村上龍氏の本は妙にカタカナが多かった印象を受けたので
挙げ句の果てには「カタカナ語辞典」まで買って
村上龍氏の本に出てきたカタカナは
辞書にマーカー入れたりしたモノです
語意が分からなければ
ちんぷんかんぷんだった龍氏の本でも
調べながら調べながら
何冊も何冊も読むにつれて
すっかり填ってしまって
高校時代に国語の点数が急上昇でした
「国語の勉強」という位置づけで
問題集を解きまくった訳ではないのですが
語彙力を身に付け
内容を理解しようと読んだだけで
自然と結果が付いてきました
語彙力が上がると
文章がすらすら音読できるはず
逆に…
語彙力が無ければ
簡単な文章でも詰まりながら
あるいは区切りを付けるところが変な感じでしか
音読出来ないはず
語彙力というと難しい感じがしますが
ようは「言葉を知っているかどうか」
「知識があるかどうか」ということだと思います
簡単すぎる例で見てみると
大阪府立体育館/京都府立体育館
これを音読する際に
「おおさか(きょうと)ふりつ/たいいくかん」
と区切って読むのが大多数だと思いますが
もう少し細かく区切るとなると
「おおさかふ(きょうよふ)/りつたいいくかん」
「おおさか(きょうと)/ふりつ/たいいくかん」
上記のような微妙な違いで区切る子が出てきます
前者は「都道府県名」を優先して認識してしまっているので
「おおさかふ(きょうとふ)」で区切ってしまいます
「府立=府が立てた」と熟語の成り立ちが理解出来ていれば
後者の区切り方になるはずです
ひとつの単語を挙げてみましたが
これが文章の中となると
そりゃもう読める読めないの差が酷いもんです
もしお子さんの国語が芳しくないようでしたら
教科書を音読させて聞いてみるのは如何でしょうか?
コメント 0