当たり前が当たり前じゃなくなった!? [教育]
ども
数日前から「天気」が妙に気になる某です
太陽光発電を稼働させて方というもの
天気が…というよりも
発電量が気になって仕方ない某です
さて…
某の生息地では
もうすぐ私立高校の入試がやってきます
いつも思うのですが…
某がしてあげられるとことと言えば
分からない・難しい・解けない
っていう問題をかみ砕いて
理解させること
難しい・解けへん
っていうネガティブ発言はするな
面倒くさいなぁ~
っていう文句はいいけど
常に「解いたろうやんけ」
っていう気持ちは持て
って言い続けてます
「言霊」を信じている某としては
「無理」「解けへん」
って言葉を発した生徒の全てが
その言葉を発した瞬間
自力で解いてやろうという気概を
自ら放棄しているように思えてなりません
なぜなら…
解くのに必要な知識は
一つも漏らすことなく
全て授業内で扱っているからです
その「解法」を習得するかどうかの部分が
「勉強」の中身と質に委ねられる訳です
その辺を最近は「勘違い」されているようで
物凄く歯がゆさを感じながら日々過ごしてます
教えて貰ったら解けるようになる
これがそもそもの間違いです
勉強に限らず…
スポーツも遊びもゲームも…
やり方がわかった次は
そのやり方が自分でもできるかどうか
或いはそのやり方を自分も取得できるように
「練習」が必要です
某自身…
youtubeなどで
ボウリングの投球フォームの動画を見て
腕だけでも動かしながら
イメージトレーニングをして
その感覚を少しでも体に覚えさせたら
実際にボウリング場へ出向いて
同じように投げられるか練習します
同じようにいかなければ
何回か練習しながら
少しずつ修正するように心掛けます
その中で自分に合ったやり方が閃めけば
今度はそれで上手くいくように練習します
何事も「練習」が大事
それも「考えながらの練習」が必要不可欠です
それに+αとして
途中であきらめない「根気」と「根性」
何事も練習そこそこで習得できる人は
その「才」がもともと備わっていたわけです
某はいたって普通の「凡人」
努力と根性なしに
習得できなものなんて一つもありません
ガンプラの組み立てだって
何体も組み上げながら
少しずつ上達したいともいながら
取り組んでいるだけです
殊に勉強となると
何か別物のように扱われる傾向を
特に強く感じてしまいます
仕事に関しても同じように
勘違いしてる新人が
早期退職の道を選ぶんじゃないでしょうか
勉強に関しては「答え」だけ
仕事に関しては「結論」だけ
覚えたとしても役立てる機会は至極僅か
どちらも「方法」を身に付けて
それも「複数の過程」を身に付けた方が
有利に働くと思います
その部分を習得するには
思考を伴う反復が必要だと思います
それはどこでするんですか?
授業内の限られた時間内では限界があります
それに皆と同じように
真面目に学校や塾の授業を受けるだけでは
「差」は生まれませんし埋まりません
周りと「差」をつけるにしろ
周りとの「差」を埋めるにしろ
授業以外の時間を有効活用するのは必須です
宿題はしてこない
答え合わせも正解を赤で書き写して終わり
解き方を教えても
自己流で答えを出して
わからへん…できひん…を連発
挙句の果てに
あそこに通わせても成績が上がらない
なんていわれる始末
サービス業とはいえ
因果な商売です
入試が近づく=新年度切り替えの時期
次年度の生徒の動向が
物凄く精神的負担としてのしかかってきます
そんなブルーな気分を打破すべく
毎年この時期になれば
受験生に「合格祈願グッズ」を頒布しています
一人当たりの単価はたかが知れてますが
全員分となるとそれなりの価格を
自己負担しなければなりません
MGが1体買えるくらいですが
見返りを求めて配るわけではありません…
が
「ありがとう」
の一言も言えないんですか
感謝の言葉を言わない子供が
年々増加してきています
ありがとうも言わず…
すぐにバーコードの価格の欄を見て
なんやたった○○円やん
っていうクソガキども
あ
ありがとうございます
って一言言ってくれたら
頑張れよ
って言葉を返してそれで終わるのに
あ…これ○○で配ってた
○○円やん
お前何色やった?
幾ら勉強ができたとしても
感謝の言葉が言えない奴は
「いいやつ」とは一切思えません
はいっ
ちゃんとありがとうって言いなさい
って幼少のころから教育受けてないのか
子を見れば親がわかる
親が親なら子も子
なんて言葉が昔からあります
某も人間です
神ではありません
ありがとうの一言が言えない優等生より
ありがとうがちゃんと言える劣等生の方が
何とか成績上げたろう
ちゃんといっぱしの大人になるように指導してやろう
っていう気持ちになります
数年前から同じこと繰り返してきていますが
その時から「ありがとう」を言わない奴はいました
が
年々その数が増えてきていることが
大問題です
人から物をもらったら
ありがとう
の一言を言うのは
当たり前じゃないんですか
昔の当たり前は
今の当たり前じゃないんですか
今は変なところで現実的で…
例えば100円以上のものじゃないと
ありがとうっていう必要がない
みたいな価値観で満たされてるんですか
こういう「道徳観」ってのは
ミクロ社会の「家庭」で養うものじゃないんですか
「ありがとう」の一言がなければ渡さない
っていう強硬手段をとれば
貰えなかった親は
たかが○○円のもんやのにけち臭い
たかが○○円のもので目くじら立てるなんて大人げない
とかなんとか因縁をつけてくるんでしょうね
感謝の言葉を言わない子供を育てておいて…
そもそも…
ありがとうって言ってもらいたくて配ってるのか
っていう感覚を抱くこと自体が
おかしいと思うんですが
某が抱くこのもどかしさって
某の感覚がおかしいんですか
久々に愚痴内容のネタになってしまいました
次回は景気のいいネタで更新できればいいんですが
では今回はこの辺で
数日前から「天気」が妙に気になる某です
太陽光発電を稼働させて方というもの
天気が…というよりも
発電量が気になって仕方ない某です
さて…
某の生息地では
もうすぐ私立高校の入試がやってきます
いつも思うのですが…
某がしてあげられるとことと言えば
分からない・難しい・解けない
っていう問題をかみ砕いて
理解させること
難しい・解けへん
っていうネガティブ発言はするな
面倒くさいなぁ~
っていう文句はいいけど
常に「解いたろうやんけ」
っていう気持ちは持て
って言い続けてます
「言霊」を信じている某としては
「無理」「解けへん」
って言葉を発した生徒の全てが
その言葉を発した瞬間
自力で解いてやろうという気概を
自ら放棄しているように思えてなりません
なぜなら…
解くのに必要な知識は
一つも漏らすことなく
全て授業内で扱っているからです
その「解法」を習得するかどうかの部分が
「勉強」の中身と質に委ねられる訳です
その辺を最近は「勘違い」されているようで
物凄く歯がゆさを感じながら日々過ごしてます
教えて貰ったら解けるようになる
これがそもそもの間違いです
勉強に限らず…
スポーツも遊びもゲームも…
やり方がわかった次は
そのやり方が自分でもできるかどうか
或いはそのやり方を自分も取得できるように
「練習」が必要です
某自身…
youtubeなどで
ボウリングの投球フォームの動画を見て
腕だけでも動かしながら
イメージトレーニングをして
その感覚を少しでも体に覚えさせたら
実際にボウリング場へ出向いて
同じように投げられるか練習します
同じようにいかなければ
何回か練習しながら
少しずつ修正するように心掛けます
その中で自分に合ったやり方が閃めけば
今度はそれで上手くいくように練習します
何事も「練習」が大事
それも「考えながらの練習」が必要不可欠です
それに+αとして
途中であきらめない「根気」と「根性」
何事も練習そこそこで習得できる人は
その「才」がもともと備わっていたわけです
某はいたって普通の「凡人」
努力と根性なしに
習得できなものなんて一つもありません
ガンプラの組み立てだって
何体も組み上げながら
少しずつ上達したいともいながら
取り組んでいるだけです
殊に勉強となると
何か別物のように扱われる傾向を
特に強く感じてしまいます
仕事に関しても同じように
勘違いしてる新人が
早期退職の道を選ぶんじゃないでしょうか
勉強に関しては「答え」だけ
仕事に関しては「結論」だけ
覚えたとしても役立てる機会は至極僅か
どちらも「方法」を身に付けて
それも「複数の過程」を身に付けた方が
有利に働くと思います
その部分を習得するには
思考を伴う反復が必要だと思います
それはどこでするんですか?
授業内の限られた時間内では限界があります
それに皆と同じように
真面目に学校や塾の授業を受けるだけでは
「差」は生まれませんし埋まりません
周りと「差」をつけるにしろ
周りとの「差」を埋めるにしろ
授業以外の時間を有効活用するのは必須です
宿題はしてこない
答え合わせも正解を赤で書き写して終わり
解き方を教えても
自己流で答えを出して
わからへん…できひん…を連発
挙句の果てに
あそこに通わせても成績が上がらない
なんていわれる始末
サービス業とはいえ
因果な商売です
入試が近づく=新年度切り替えの時期
次年度の生徒の動向が
物凄く精神的負担としてのしかかってきます
そんなブルーな気分を打破すべく
毎年この時期になれば
受験生に「合格祈願グッズ」を頒布しています
一人当たりの単価はたかが知れてますが
全員分となるとそれなりの価格を
自己負担しなければなりません
MGが1体買えるくらいですが
見返りを求めて配るわけではありません…
が
「ありがとう」
の一言も言えないんですか
感謝の言葉を言わない子供が
年々増加してきています
ありがとうも言わず…
すぐにバーコードの価格の欄を見て
なんやたった○○円やん
っていうクソガキども
あ
ありがとうございます
って一言言ってくれたら
頑張れよ
って言葉を返してそれで終わるのに
あ…これ○○で配ってた
○○円やん
お前何色やった?
幾ら勉強ができたとしても
感謝の言葉が言えない奴は
「いいやつ」とは一切思えません
はいっ
ちゃんとありがとうって言いなさい
って幼少のころから教育受けてないのか
子を見れば親がわかる
親が親なら子も子
なんて言葉が昔からあります
某も人間です
神ではありません
ありがとうの一言が言えない優等生より
ありがとうがちゃんと言える劣等生の方が
何とか成績上げたろう
ちゃんといっぱしの大人になるように指導してやろう
っていう気持ちになります
数年前から同じこと繰り返してきていますが
その時から「ありがとう」を言わない奴はいました
が
年々その数が増えてきていることが
大問題です
人から物をもらったら
ありがとう
の一言を言うのは
当たり前じゃないんですか
昔の当たり前は
今の当たり前じゃないんですか
今は変なところで現実的で…
例えば100円以上のものじゃないと
ありがとうっていう必要がない
みたいな価値観で満たされてるんですか
こういう「道徳観」ってのは
ミクロ社会の「家庭」で養うものじゃないんですか
「ありがとう」の一言がなければ渡さない
っていう強硬手段をとれば
貰えなかった親は
たかが○○円のもんやのにけち臭い
たかが○○円のもので目くじら立てるなんて大人げない
とかなんとか因縁をつけてくるんでしょうね
感謝の言葉を言わない子供を育てておいて…
そもそも…
ありがとうって言ってもらいたくて配ってるのか
っていう感覚を抱くこと自体が
おかしいと思うんですが
某が抱くこのもどかしさって
某の感覚がおかしいんですか
久々に愚痴内容のネタになってしまいました
次回は景気のいいネタで更新できればいいんですが
では今回はこの辺で
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