スマホ利用者の低年齢化 [教育]
ども
夏期講習突入で八方塞がりの某です
連日14時間弱拘束の
ハードスケジュールがすぐそこまで迫ってきています
体調管理だけには気をつけないと
ってことで…
早速ドラッグストアで栄養ドリンクを買ってきます
さて…
今回は少し頭を使うネタを取り上げたいと思います
先日テレビを見ていると
小学校低学年の子どもがサクサクとスマホを扱っている様子を見ました
番組の放送意図は
「スマホ利用者の低年齢化」
を問題提起したのでしょうが
某は「なんだかなぁ~」ってのが正直な感想です
その特集内で質問に答えていた母親のコメントに
以下のような内容がありました
電車(バス?)に乗っているときにぐずり出したりしても
スマホを渡すと静かになるので
つい渡してしまいます
だかなんだか…
大体こんな感じの内容だったと思います
このコメントを聞いて違和感しか抱かなかった某は
価値観が古いんでしょうか…
新旧で言えば某の価値観は「旧」なのかも知れませんが
「新」が正しいとはどうも思えません
先のコメント…って某にしてみれば
公共のルールを教える親がその立場を放棄して
静かにさせるための短絡的発想でしかないよう思えます
子どもがあちこちで駄々をこねる
そんなこたぁ~今も昔も変わらないと思います
お買い物に子どもを連れて行けば…
おもちゃ買ってぇ~
お菓子買ってぇ~
ジュース買ってぇ~
電車・バスに乗れば…
きゃっきゃと騒ぎまくる
靴を脱がないまま座席に乗って窓の外の風景に現を抜かす
そういう場面に出くわした際
一緒にいる親が「全力で躾ける」のが当たり前だと思うんですが…
「周りの人に迷惑にならないように静かにさせる」こと
を最優先してスマホを渡す…何かを買い与える…
短絡的にその場をしのぐ親ってどうも理解出来ません
駄々をこねてうっさいこども
それを叱って「理」を分からせようとする親
親子揃ってうるさい
これがある意味「本来の姿」だと思うのですが
この様子を「しゃぁ~ないよなぁ~」って
傍観する大人が減ってきたんでしょうか
自分が子どもだったときのことを棚に上げて…
某は基本「スマホなんてのは高校生になってバイトでもしながら
自分で月々の使用料が払える立場になってから
自ら選択して買えばいい」と思っています
生徒にも「中学生の内からスマホを持つのはどや?」と
アンケートだの記事などを使ってマインドコントロールを試みてます
が
実際「こども」にしていれば
「スマホを持ちたい」という欲望を叶えるために
あの手この手を使って親を説得して
見事「手に入れてる」ところが多いです
某が子どもの頃に流行った「ファミコン」
を入手するのと酷似してます
某自身「狡賢く」て親を落とした立場だったので
今のこども達の策が手に取るように分かります
こどもがよく言うフレーズに
「友達はみんな持ってるもん」
ってのがあると思います
実際にアンケートを採ってみましたが
「友達みんな」のクラスなどに占める割合は
「50%」ありません
このフレーズを使うこどもに根負けする親が増えていく段階で
50%弱→50%強→60%…
と徐々に増えていって
ほんとに「みんな」が持つ状況に近くなります
冷静に考えてみて下さい…
「クラスのみんなは…」ではなく「友達みんなは…」と
微妙なニュアンスの違いを使い分けているのです
「クラスのみんな」となると親の繋がりで
「○○さんとこはスマホ持たせてはります?」
なんて親が探りを入れた際に
「いいえ…うちはまだです」
「えぇ…こどもにせがまれまして…」
とかの答えが返ってきて「親が総合的に判断」して
「まだ早い…」「そろそろ持たすか…」
などの考えに至るんだと思うんですが
「友達みんな」というのは
友達はクラスで5人くらいとして
その内3人くらいいれば「みんな」という表現を使うのです
「友達ってだれやな?」と親からの反撃があったとしても
「○○やろ~…△△のとこもやろぉ~…あ,◇◇のとこも最近持ちよったわ」
なんて具合にすぐさま3人くらいの名が挙がると
「へぇ~…皆さん持たせてはるんやねぇ~」って
親の方は洗脳されてしまうんでしょう
割合でも「5分の3だと60%か…半分より多いもんな…」って
妙な説得力に負けてしまうんだと思います
が
30人クラスで3人とみれば「たった10%」です
同じようなこどもが数人居たとしても
その「ともだち」に「共通した名前(持ってる友達の名前)」
も含めて多めに見ても某が危惧して調査(?)したときは
「学校のクラス50%」を占めてませんでした
この調査からかれこれ数ヶ月経ってしまったので
割合は増えてきたと思いますが
「みんな」と形容するまでにはなってないと思います
スマホなんてのは「高機能」なだけに
「便利」以上の「弊害」が伴うリスクがあります
親子でいつでも連絡できる状況が必要であれば
「ガラケー」で十分だと思います
「親子の連絡」以上の付加価値が「こどもにとっては魅力的」なので
執拗にお強請りしてくるのだと認識して欲しいと思います
実際…スマホ持ってる中学生は
勉強よりも「スマホいじりの誘惑」に負けてしまって
成績が芳しくないこの方が多いです
目先の嫌なことから逃げだし
長い目で物事を判断できないのがこどもだと思います
長い目で見て「今は必要がない」と
強権を発動するのも「親の愛情」だと思います
最後にもう一度お聞きします…
こどもにスマホは必要だと思いますか?
いずれにせよ…
この記事を機に一度考えて頂ければ幸いです
夏期講習突入で八方塞がりの某です
連日14時間弱拘束の
ハードスケジュールがすぐそこまで迫ってきています
体調管理だけには気をつけないと
ってことで…
早速ドラッグストアで栄養ドリンクを買ってきます
さて…
今回は少し頭を使うネタを取り上げたいと思います
先日テレビを見ていると
小学校低学年の子どもがサクサクとスマホを扱っている様子を見ました
番組の放送意図は
「スマホ利用者の低年齢化」
を問題提起したのでしょうが
某は「なんだかなぁ~」ってのが正直な感想です
その特集内で質問に答えていた母親のコメントに
以下のような内容がありました
電車(バス?)に乗っているときにぐずり出したりしても
スマホを渡すと静かになるので
つい渡してしまいます
だかなんだか…
大体こんな感じの内容だったと思います
このコメントを聞いて違和感しか抱かなかった某は
価値観が古いんでしょうか…
新旧で言えば某の価値観は「旧」なのかも知れませんが
「新」が正しいとはどうも思えません
先のコメント…って某にしてみれば
公共のルールを教える親がその立場を放棄して
静かにさせるための短絡的発想でしかないよう思えます
子どもがあちこちで駄々をこねる
そんなこたぁ~今も昔も変わらないと思います
お買い物に子どもを連れて行けば…
おもちゃ買ってぇ~
お菓子買ってぇ~
ジュース買ってぇ~
電車・バスに乗れば…
きゃっきゃと騒ぎまくる
靴を脱がないまま座席に乗って窓の外の風景に現を抜かす
そういう場面に出くわした際
一緒にいる親が「全力で躾ける」のが当たり前だと思うんですが…
「周りの人に迷惑にならないように静かにさせる」こと
を最優先してスマホを渡す…何かを買い与える…
短絡的にその場をしのぐ親ってどうも理解出来ません
駄々をこねてうっさいこども
それを叱って「理」を分からせようとする親
親子揃ってうるさい
これがある意味「本来の姿」だと思うのですが
この様子を「しゃぁ~ないよなぁ~」って
傍観する大人が減ってきたんでしょうか
自分が子どもだったときのことを棚に上げて…
某は基本「スマホなんてのは高校生になってバイトでもしながら
自分で月々の使用料が払える立場になってから
自ら選択して買えばいい」と思っています
生徒にも「中学生の内からスマホを持つのはどや?」と
アンケートだの記事などを使ってマインドコントロールを試みてます
が
実際「こども」にしていれば
「スマホを持ちたい」という欲望を叶えるために
あの手この手を使って親を説得して
見事「手に入れてる」ところが多いです
某が子どもの頃に流行った「ファミコン」
を入手するのと酷似してます
某自身「狡賢く」て親を落とした立場だったので
今のこども達の策が手に取るように分かります
こどもがよく言うフレーズに
「友達はみんな持ってるもん」
ってのがあると思います
実際にアンケートを採ってみましたが
「友達みんな」のクラスなどに占める割合は
「50%」ありません
このフレーズを使うこどもに根負けする親が増えていく段階で
50%弱→50%強→60%…
と徐々に増えていって
ほんとに「みんな」が持つ状況に近くなります
冷静に考えてみて下さい…
「クラスのみんなは…」ではなく「友達みんなは…」と
微妙なニュアンスの違いを使い分けているのです
「クラスのみんな」となると親の繋がりで
「○○さんとこはスマホ持たせてはります?」
なんて親が探りを入れた際に
「いいえ…うちはまだです」
「えぇ…こどもにせがまれまして…」
とかの答えが返ってきて「親が総合的に判断」して
「まだ早い…」「そろそろ持たすか…」
などの考えに至るんだと思うんですが
「友達みんな」というのは
友達はクラスで5人くらいとして
その内3人くらいいれば「みんな」という表現を使うのです
「友達ってだれやな?」と親からの反撃があったとしても
「○○やろ~…△△のとこもやろぉ~…あ,◇◇のとこも最近持ちよったわ」
なんて具合にすぐさま3人くらいの名が挙がると
「へぇ~…皆さん持たせてはるんやねぇ~」って
親の方は洗脳されてしまうんでしょう
割合でも「5分の3だと60%か…半分より多いもんな…」って
妙な説得力に負けてしまうんだと思います
が
30人クラスで3人とみれば「たった10%」です
同じようなこどもが数人居たとしても
その「ともだち」に「共通した名前(持ってる友達の名前)」
も含めて多めに見ても某が危惧して調査(?)したときは
「学校のクラス50%」を占めてませんでした
この調査からかれこれ数ヶ月経ってしまったので
割合は増えてきたと思いますが
「みんな」と形容するまでにはなってないと思います
スマホなんてのは「高機能」なだけに
「便利」以上の「弊害」が伴うリスクがあります
親子でいつでも連絡できる状況が必要であれば
「ガラケー」で十分だと思います
「親子の連絡」以上の付加価値が「こどもにとっては魅力的」なので
執拗にお強請りしてくるのだと認識して欲しいと思います
実際…スマホ持ってる中学生は
勉強よりも「スマホいじりの誘惑」に負けてしまって
成績が芳しくないこの方が多いです
目先の嫌なことから逃げだし
長い目で物事を判断できないのがこどもだと思います
長い目で見て「今は必要がない」と
強権を発動するのも「親の愛情」だと思います
最後にもう一度お聞きします…
こどもにスマホは必要だと思いますか?
いずれにせよ…
この記事を機に一度考えて頂ければ幸いです
音読と国語力の関係 [教育]
国語って母国語の割には
テスト勉強の時間は
あまり費やして貰えないみたいです
「国語もちゃんと勉強したんけぇ」と聞いても
「漢字は覚えたで」との返事が鉄板です
何年生に聞いても殆ど変わりません
どうしてなんでしょう
国語の勉強方法が分からない
或いは…
ま…なんとかなるやろ
って気持ちが大きいんでしょうか
恐らく…
両方だと思います
また算数・数学は出来るのに
国語になると苦手意識満開
なんて言う子も多々見てきました
この逆もまた然りなんですが
算数・数学が出来て
国語が苦手な場合と
国語が出来て
算数・数学が苦手な場合とでは
どちらが重傷…
ってか点差が大きいんでしょうか
今改めて気になりましたが
そう言えば…
散々検証する機会があったにも関わらず
実際にデータ検証した試しがありません
この数年…
ちょっぴり思うのが
「音読が苦手な子は国語が苦手」
と言う傾向にあるのではないか
ってことです
音読が得意というか
すらすら(速く読めばいいってもんじゃないですが)読める子と
音読が苦手で
詰まりながら読んだり
文章を勝手に変えたりして読んでしまう子とでは
顕著に点差になって表れてしまうように思えます
某の独断と偏見で分析してみるならば
語彙力に欠けるから
単語の切れ目が分からない
単語の切れ目で読むのではなく
息継ぎで読んでしまったり
自分が知ってる
よく似た言葉を勝手に置き換えて読んだりしてしまうから
文の意味の繋がりが分からなくなってしまい
理解できないまま読み進めているのではないか
文章読んだ
と読み終わった直後に問いかけると
うん
という返事が返ってきますが
どんな内容やった?
登場人物はだれ?
どこで何してた?
などを聞くと…
その答えが分かるところまで
また初めから黙読し始める子がいます
国語が苦手
算数数学の文章問題が苦手
理科の問題の文字数が多くて
実験絡みの問題になると分からない
っていう感覚の生徒たちは
文章を読む = 目で文字を追う
だけ
の作業で終わっているような気がしてなりません
例えば「にわかに」という単語があったとして
平仮名表記なので当然「にわかに」と頭の中なり
声に出したりで「読める」んですが
「にわかにの意味は…」
なんてことは考えながら読むことはありません
「左衛門は目の前の光景がにわかには受け入れがたかった」
とかなんとかの文章を読んでも
「どういう状況なのか」など
当然読みながら考えないんです
国語ですら「場面」や「心情」を
考えながら読もうとしないから
算数数学や理科の問題文中の値の意味も
考えて計算できず
素っ頓狂な答えが出ても違和感を抱かないんでしょうね
某は「単なる暗記」と言うのが大の苦手で
覚えるだけ
って言うのがなかなか出来ません
暗記が得意な子にしてみれば
語彙力はいくらでものばせる
と思うのは浅はかなんでしょうか
語彙力が伸びれば
自然と文章の意味が分かると思うんですが
某が読書に目覚めた高校生の頃
「語彙力」なんて言葉は勿論知らなかったですし
国語辞典片手に小説を読んでたモノです
村上龍氏の本は妙にカタカナが多かった印象を受けたので
挙げ句の果てには「カタカナ語辞典」まで買って
村上龍氏の本に出てきたカタカナは
辞書にマーカー入れたりしたモノです
語意が分からなければ
ちんぷんかんぷんだった龍氏の本でも
調べながら調べながら
何冊も何冊も読むにつれて
すっかり填ってしまって
高校時代に国語の点数が急上昇でした
「国語の勉強」という位置づけで
問題集を解きまくった訳ではないのですが
語彙力を身に付け
内容を理解しようと読んだだけで
自然と結果が付いてきました
語彙力が上がると
文章がすらすら音読できるはず
逆に…
語彙力が無ければ
簡単な文章でも詰まりながら
あるいは区切りを付けるところが変な感じでしか
音読出来ないはず
語彙力というと難しい感じがしますが
ようは「言葉を知っているかどうか」
「知識があるかどうか」ということだと思います
簡単すぎる例で見てみると
大阪府立体育館/京都府立体育館
これを音読する際に
「おおさか(きょうと)ふりつ/たいいくかん」
と区切って読むのが大多数だと思いますが
もう少し細かく区切るとなると
「おおさかふ(きょうよふ)/りつたいいくかん」
「おおさか(きょうと)/ふりつ/たいいくかん」
上記のような微妙な違いで区切る子が出てきます
前者は「都道府県名」を優先して認識してしまっているので
「おおさかふ(きょうとふ)」で区切ってしまいます
「府立=府が立てた」と熟語の成り立ちが理解出来ていれば
後者の区切り方になるはずです
ひとつの単語を挙げてみましたが
これが文章の中となると
そりゃもう読める読めないの差が酷いもんです
もしお子さんの国語が芳しくないようでしたら
教科書を音読させて聞いてみるのは如何でしょうか?
テスト勉強の時間は
あまり費やして貰えないみたいです
「国語もちゃんと勉強したんけぇ」と聞いても
「漢字は覚えたで」との返事が鉄板です
何年生に聞いても殆ど変わりません
どうしてなんでしょう
国語の勉強方法が分からない
或いは…
ま…なんとかなるやろ
って気持ちが大きいんでしょうか
恐らく…
両方だと思います
また算数・数学は出来るのに
国語になると苦手意識満開
なんて言う子も多々見てきました
この逆もまた然りなんですが
算数・数学が出来て
国語が苦手な場合と
国語が出来て
算数・数学が苦手な場合とでは
どちらが重傷…
ってか点差が大きいんでしょうか
今改めて気になりましたが
そう言えば…
散々検証する機会があったにも関わらず
実際にデータ検証した試しがありません
この数年…
ちょっぴり思うのが
「音読が苦手な子は国語が苦手」
と言う傾向にあるのではないか
ってことです
音読が得意というか
すらすら(速く読めばいいってもんじゃないですが)読める子と
音読が苦手で
詰まりながら読んだり
文章を勝手に変えたりして読んでしまう子とでは
顕著に点差になって表れてしまうように思えます
某の独断と偏見で分析してみるならば
語彙力に欠けるから
単語の切れ目が分からない
単語の切れ目で読むのではなく
息継ぎで読んでしまったり
自分が知ってる
よく似た言葉を勝手に置き換えて読んだりしてしまうから
文の意味の繋がりが分からなくなってしまい
理解できないまま読み進めているのではないか
文章読んだ
と読み終わった直後に問いかけると
うん
という返事が返ってきますが
どんな内容やった?
登場人物はだれ?
どこで何してた?
などを聞くと…
その答えが分かるところまで
また初めから黙読し始める子がいます
国語が苦手
算数数学の文章問題が苦手
理科の問題の文字数が多くて
実験絡みの問題になると分からない
っていう感覚の生徒たちは
文章を読む = 目で文字を追う
だけ
の作業で終わっているような気がしてなりません
例えば「にわかに」という単語があったとして
平仮名表記なので当然「にわかに」と頭の中なり
声に出したりで「読める」んですが
「にわかにの意味は…」
なんてことは考えながら読むことはありません
「左衛門は目の前の光景がにわかには受け入れがたかった」
とかなんとかの文章を読んでも
「どういう状況なのか」など
当然読みながら考えないんです
国語ですら「場面」や「心情」を
考えながら読もうとしないから
算数数学や理科の問題文中の値の意味も
考えて計算できず
素っ頓狂な答えが出ても違和感を抱かないんでしょうね
某は「単なる暗記」と言うのが大の苦手で
覚えるだけ
って言うのがなかなか出来ません
暗記が得意な子にしてみれば
語彙力はいくらでものばせる
と思うのは浅はかなんでしょうか
語彙力が伸びれば
自然と文章の意味が分かると思うんですが
某が読書に目覚めた高校生の頃
「語彙力」なんて言葉は勿論知らなかったですし
国語辞典片手に小説を読んでたモノです
村上龍氏の本は妙にカタカナが多かった印象を受けたので
挙げ句の果てには「カタカナ語辞典」まで買って
村上龍氏の本に出てきたカタカナは
辞書にマーカー入れたりしたモノです
語意が分からなければ
ちんぷんかんぷんだった龍氏の本でも
調べながら調べながら
何冊も何冊も読むにつれて
すっかり填ってしまって
高校時代に国語の点数が急上昇でした
「国語の勉強」という位置づけで
問題集を解きまくった訳ではないのですが
語彙力を身に付け
内容を理解しようと読んだだけで
自然と結果が付いてきました
語彙力が上がると
文章がすらすら音読できるはず
逆に…
語彙力が無ければ
簡単な文章でも詰まりながら
あるいは区切りを付けるところが変な感じでしか
音読出来ないはず
語彙力というと難しい感じがしますが
ようは「言葉を知っているかどうか」
「知識があるかどうか」ということだと思います
簡単すぎる例で見てみると
大阪府立体育館/京都府立体育館
これを音読する際に
「おおさか(きょうと)ふりつ/たいいくかん」
と区切って読むのが大多数だと思いますが
もう少し細かく区切るとなると
「おおさかふ(きょうよふ)/りつたいいくかん」
「おおさか(きょうと)/ふりつ/たいいくかん」
上記のような微妙な違いで区切る子が出てきます
前者は「都道府県名」を優先して認識してしまっているので
「おおさかふ(きょうとふ)」で区切ってしまいます
「府立=府が立てた」と熟語の成り立ちが理解出来ていれば
後者の区切り方になるはずです
ひとつの単語を挙げてみましたが
これが文章の中となると
そりゃもう読める読めないの差が酷いもんです
もしお子さんの国語が芳しくないようでしたら
教科書を音読させて聞いてみるのは如何でしょうか?
見当が付けられない!? [教育]
平成の子って頭が固いのか
それこそ学力の低下なのか
色々な知識を組み合わせて使う
ってことが出来ないんですよねぇ~
算数・数学の知識が
理科の計算ではすっかり飛んじゃってます
例えば…
恐らく中学2年の末頃に学習するであろう
「飽和水蒸気量」「湿度」に関する問題で…
12.3/19.4×100=
と公式に当てはめることは何とか出来ても
その計算結果があり得なくても
「これ合ってるぅ~?」
って聞いてくるんです
有効数字「小数第1位」と注釈があって
「63.2%」
と答えを出した生徒がいて
ちょっとした計算間違いなだけに
「おしぃ~」
って思わず口に出してしまうと…
「じゃ~これ?」
と言って提示した答えが「63%」
「いやいや・・・小数第1位までやから」
というと「じゃ~これ?」といって
今度の答えは「6%」
えっ
別の生徒が
「これあってるぅ~?」
と提示した答えが「6.33%」
へっ
先ほどの公式に当てはめた式から
大体の値を見当付けてみると…
12.3/19.4 ×100
= (63.4%が正解)
なので…
分子が分母の19.4の
半分である9.7で「50%」なので
12.3は9.7より大きいから
「50%よりも大きな答えが出るはず」
と言う考えはどこへ行ってしまったんでしょうか
初めの答え「63.2%」で惜しかったんだから
計算し直そう
という姿勢は皆無です
計算式から見当を付けた上で
再考し直すということしないので
「おしい」っていう某の言葉から
1回計算して出した値を
なんとかいじくって正解にしよう
っていう直し方しかしないのです
それ故…
「湿度6%」っていう
「超乾燥状態」の計算結果であっても
「おかしいなぁ~」
っていう感覚を抱かないようです
同じく理科分野ですが…
「運動とエネルギー」の単元で出てくる
「速さ」の問題を皆に解かせてみました
「0.4秒で12.4cm進んだこの台車の速さは何cm/秒ですか」
と言う問題でも
「12.4cm」よりも小さな答えの
「3.1cm/秒」
に難の疑いも抱かない生徒が居ます
少数を含む計算が苦手だとしても
「0.4秒<1秒」
と言う概念はどこへ行ってしまったんでしょうか
「0.4秒は1秒よりも小さいんだから
1秒で進む距離は12.4cmよりも
大きくなるはず」
とは考えないんです
数字の持つ意味を考えていないから
計算結果が「3.1cm/秒」となっても
「あれなんじゃこれ…間違ってるわ」
とは思わないんです
計算の難易度で言えば
より難しい計算を数学で解いているはずなのに
文章問題や理科での計算問題となると
自分の答えがあっているかどうか
全く見当が付けられない生徒が毎年います
「答えを急く」「答えの正誤」
のみに意識がいっていて
「考えながら解く」とか
「答えの見当を付ける」などは
軽視されている気がします
理科も数学も国語も他の教科でもそうでしょうが
「何故その答えになるのか?」
と答えを導き出す「過程」に
もっと意識を持って貰いたいモノです
それこそ学力の低下なのか
色々な知識を組み合わせて使う
ってことが出来ないんですよねぇ~
算数・数学の知識が
理科の計算ではすっかり飛んじゃってます
例えば…
恐らく中学2年の末頃に学習するであろう
「飽和水蒸気量」「湿度」に関する問題で…
12.3/19.4×100=
と公式に当てはめることは何とか出来ても
その計算結果があり得なくても
「これ合ってるぅ~?」
って聞いてくるんです
有効数字「小数第1位」と注釈があって
「63.2%」
と答えを出した生徒がいて
ちょっとした計算間違いなだけに
「おしぃ~」
って思わず口に出してしまうと…
「じゃ~これ?」
と言って提示した答えが「63%」
「いやいや・・・小数第1位までやから」
というと「じゃ~これ?」といって
今度の答えは「6%」
えっ
別の生徒が
「これあってるぅ~?」
と提示した答えが「6.33%」
へっ
先ほどの公式に当てはめた式から
大体の値を見当付けてみると…
12.3/19.4 ×100
= (63.4%が正解)
なので…
分子が分母の19.4の
半分である9.7で「50%」なので
12.3は9.7より大きいから
「50%よりも大きな答えが出るはず」
と言う考えはどこへ行ってしまったんでしょうか
初めの答え「63.2%」で惜しかったんだから
計算し直そう
という姿勢は皆無です
計算式から見当を付けた上で
再考し直すということしないので
「おしい」っていう某の言葉から
1回計算して出した値を
なんとかいじくって正解にしよう
っていう直し方しかしないのです
それ故…
「湿度6%」っていう
「超乾燥状態」の計算結果であっても
「おかしいなぁ~」
っていう感覚を抱かないようです
同じく理科分野ですが…
「運動とエネルギー」の単元で出てくる
「速さ」の問題を皆に解かせてみました
「0.4秒で12.4cm進んだこの台車の速さは何cm/秒ですか」
と言う問題でも
「12.4cm」よりも小さな答えの
「3.1cm/秒」
に難の疑いも抱かない生徒が居ます
少数を含む計算が苦手だとしても
「0.4秒<1秒」
と言う概念はどこへ行ってしまったんでしょうか
「0.4秒は1秒よりも小さいんだから
1秒で進む距離は12.4cmよりも
大きくなるはず」
とは考えないんです
数字の持つ意味を考えていないから
計算結果が「3.1cm/秒」となっても
「あれなんじゃこれ…間違ってるわ」
とは思わないんです
計算の難易度で言えば
より難しい計算を数学で解いているはずなのに
文章問題や理科での計算問題となると
自分の答えがあっているかどうか
全く見当が付けられない生徒が毎年います
「答えを急く」「答えの正誤」
のみに意識がいっていて
「考えながら解く」とか
「答えの見当を付ける」などは
軽視されている気がします
理科も数学も国語も他の教科でもそうでしょうが
「何故その答えになるのか?」
と答えを導き出す「過程」に
もっと意識を持って貰いたいモノです
漢字離れ… [教育]
某自身はあまり依頼しないのですが
最近気になるのが「領収書」
ちょっとした雑費は自腹で買ってしまうんですが
「領収書」を切って貰えば
身銭を切らなくても良いんですよね
数百円/回なら構わないかとも思うんですが
塵も積もれば山となるで
「領収書切って貰ってや」
とボスには言われます
さて…
パソコンや携帯やらの普及による弊害の一つとして
「漢字離れ」が幾度となく言われてますが
身近に感じることが多々あります
先日も「領収書お願いします」というと
「お名前はどうさせて貰いましょうか?」
と決まって聞かれるので
「◇△塾でお願いします」と答えます
すると・・・
「あのぉ~すみません
ジュクってどんな漢字ですか?」
とほぼ100%の割合で聞かれます
他には…
大手カー用品の店員に
カーシャンプーの説明を受けたときには
「この商品はこちらの商品のケンカ版です」
と言われ
あぁ「廉価版(レンカバン)」のことか
と理解するまで一瞬時間を要してしまいました
似たような意味の扱いにも困ります
その顕著な例が
「早い」と「速い」ですか…
話題に出たのが
「進度がはやい」
っていう場合はどっちの「はやい」をつかうんや
というものでした
授業の進むスピードが速い場合は
「○○校の進度が速い」
となり
ある単元を扱う時期が
例年と比べて早い場合は
「○○校では進度が早い」
となるのではという結論でした
思わず「おぉ~」
と大きく頷いてしまった某です
日本語って奥が深いですねぇ
最近気になるのが「領収書」
ちょっとした雑費は自腹で買ってしまうんですが
「領収書」を切って貰えば
身銭を切らなくても良いんですよね
数百円/回なら構わないかとも思うんですが
塵も積もれば山となるで
「領収書切って貰ってや」
とボスには言われます
さて…
パソコンや携帯やらの普及による弊害の一つとして
「漢字離れ」が幾度となく言われてますが
身近に感じることが多々あります
先日も「領収書お願いします」というと
「お名前はどうさせて貰いましょうか?」
と決まって聞かれるので
「◇△塾でお願いします」と答えます
すると・・・
「あのぉ~すみません
ジュクってどんな漢字ですか?」
とほぼ100%の割合で聞かれます
他には…
大手カー用品の店員に
カーシャンプーの説明を受けたときには
「この商品はこちらの商品のケンカ版です」
と言われ
あぁ「廉価版(レンカバン)」のことか
と理解するまで一瞬時間を要してしまいました
似たような意味の扱いにも困ります
その顕著な例が
「早い」と「速い」ですか…
話題に出たのが
「進度がはやい」
っていう場合はどっちの「はやい」をつかうんや
というものでした
授業の進むスピードが速い場合は
「○○校の進度が速い」
となり
ある単元を扱う時期が
例年と比べて早い場合は
「○○校では進度が早い」
となるのではという結論でした
思わず「おぉ~」
と大きく頷いてしまった某です
日本語って奥が深いですねぇ
我が人生ふと顧みる… [教育]
某は勉強が嫌いでした
なのに…
なじぇ塾の講師なんかしてるんでしょう
学生の頃は
優等生ちっくなヤンキー擬きとでもいいましょうか…
腕っぷしはめちゃくちゃ強い
っていう訳でもなく
いろんな意味で「中途半端」でしたねぇ~
高校生の時なんか…
学級委員長みたいなモノをやりながらも
校則で決められている「白のカッターシャツ」は
入学式後の数週間も着てないし…
高1のスキー研修では
髪の毛をスプレーで「金・緑・ピンク」の3色っていう
今思えば狂気の沙汰としか思えないような髪型で写真に写り
後半の研修を受け
高2の夏休みには
脱色剤で髪の毛を脱色し…
「もうちょっと」の繰り返しで
夏休みが終わった頃には
頭髪は根元まで「マッキンキン」になってしまい
そのまま染め直すお金もなく
数ヶ月後には見事な程に
「プリン頭」になってました
高1で始めに入った部活動は
「帰宅部」を前提とした「将棋部」
初回の活動で集まったときに
学年代表を決めろよぉ~
って言う先生の指示で
お決まりのじゃんけん
見事に最終戦まで負け続け
学年代表就任
「帰宅部」どころか
「将棋部の学年代表」になっちゃいましたよ
その数ヶ月後…
剣道の昇段審査の時に
某と相懸かりをした奴が同じ高校で
廊下ですれ違いざまにいきなり
「自分て○○やんなぁ~?」
って言われ
なんのこっちゃ分からんままに返事をすると
昇段でお相手したそうな
よく覚えてるなぁ~
って感心しきりでした
その彼の後ろから
2・3年生がぞろぞろとやってきて
「部活は何に入ったんや?」
「将棋!?そんなん辞めてうちにこい」
などと多勢に無勢で
一方的に話がまとまり
(この頃から頼まれると断れない質なんですよね~)
帰宅部のつもりの「将棋部」から
体育系の「剣道部」へ移籍…
体育系に移籍して
ビシバシ扱かれて
心身ともに鍛えられるのかなぁ~
と思いきや…
1年生では経験者の方が圧倒的に少なく
すぐにダレダレモードへ
辞めなかったのは
マネージャーが可愛かったから
だがし
体育会系のマネージャーだけに
一生懸命練習に打ち込んでいる奴の方が
格好良く見えるわけで(至極当然)
週3回ある練習で
1回出るか出ないかの某なんか
相手にされるわけもな
(ま…典型的なパターンですね)
高1の秋頃には部活そっちのけで
バイトに勤しんでました
そんななんちゃって剣道部員にも
活躍の場が到来
3年のとき…
インターハイ予選
勿論某は「補欠」
部員が少ないのと
「経験者」と言うだけで
切るに切れない「中途半端」なポジションですよね
予選当日…
いつも練習熱心な一人が風邪でダウン
某の出番が用意されてしまいました
開始数秒であっさり1本取ってしまい
そのまま2本目も決まり勝っちゃいました
その試合は
2勝2敗1分で本数も同じ
代表戦で決着をとなったんですが
部長(大将)が出るも
2試合連続というハンデから惜敗
結局その日に勝ったのは
ぼんくら部員2名だけ
某と某を剣道部に引きずり込んでくれたK君
流石にあの日の帰り道は
ほかの皆に掛ける言葉がなかったねぇ~
K君と2人…
皆と離れて帰ったもんなぁ~
そんなぼんくら部員の某ですが
2年の時に「2段」に昇段しちゃいまして
(ちゃんと練習しましたよぉ~2週間程根詰めて)
小4から続けた剣道もなんとか形にはなったかなと
大学では
始めて触れた「法学」「法律」が面白くて
色々辞典やら買って
挙げ句の果てには
暇つぶしに「小六法」を読んでましたね
もう忘れてしまってますけど
ただでさえ「英語嫌い」のくせに
第二外国語で何を血迷ったのか
「ドイツ語」をとり
男性名詞だの女性名詞だので
「メダパニ状態」
その大学で3本の指に入る
「単位をくれない先生」とまで言われた「経済原論」で
見事「優」を取ったときは嬉しかったっすねぇ~
ん
勉強嫌いの割には
一番勉強してなさそうな大学の時が
一番勉強の楽しさに目覚めていた
かもしれませんねぇ~
高校の時は
周りの奴らから「馬鹿にされたくない」って一心で
人前では勉強せず、数学の授業で英語の宿題をし
国語の授業に化学の化学反応式を覚え
英語の時間は英語をし
社会の授業でイラストを制作し
自宅で「予復習」をこなし
って
この辺が尋常じゃないんですよねぇ~
高1の終わり頃に出来た初めての彼女は
年上でバイト先のマドンナ
才色兼備でしたねぇ~
その彼女に認められたくて勉強してました
いずれにしても勉強をする動機が
不純の固まりですね
否
不純だからこそ勉強できたのかもしれません
今思えば…
もっと勉強しておけば良かったと後悔だけが残ります
こんな後悔…
しない方が良いですよ
学生の皆様方
なのに…
なじぇ塾の講師なんかしてるんでしょう
学生の頃は
優等生ちっくなヤンキー擬きとでもいいましょうか…
腕っぷしはめちゃくちゃ強い
っていう訳でもなく
いろんな意味で「中途半端」でしたねぇ~
高校生の時なんか…
学級委員長みたいなモノをやりながらも
校則で決められている「白のカッターシャツ」は
入学式後の数週間も着てないし…
高1のスキー研修では
髪の毛をスプレーで「金・緑・ピンク」の3色っていう
今思えば狂気の沙汰としか思えないような髪型で写真に写り
後半の研修を受け
高2の夏休みには
脱色剤で髪の毛を脱色し…
「もうちょっと」の繰り返しで
夏休みが終わった頃には
頭髪は根元まで「マッキンキン」になってしまい
そのまま染め直すお金もなく
数ヶ月後には見事な程に
「プリン頭」になってました
高1で始めに入った部活動は
「帰宅部」を前提とした「将棋部」
初回の活動で集まったときに
学年代表を決めろよぉ~
って言う先生の指示で
お決まりのじゃんけん
見事に最終戦まで負け続け
学年代表就任
「帰宅部」どころか
「将棋部の学年代表」になっちゃいましたよ
その数ヶ月後…
剣道の昇段審査の時に
某と相懸かりをした奴が同じ高校で
廊下ですれ違いざまにいきなり
「自分て○○やんなぁ~?」
って言われ
なんのこっちゃ分からんままに返事をすると
昇段でお相手したそうな
よく覚えてるなぁ~
って感心しきりでした
その彼の後ろから
2・3年生がぞろぞろとやってきて
「部活は何に入ったんや?」
「将棋!?そんなん辞めてうちにこい」
などと多勢に無勢で
一方的に話がまとまり
(この頃から頼まれると断れない質なんですよね~)
帰宅部のつもりの「将棋部」から
体育系の「剣道部」へ移籍…
体育系に移籍して
ビシバシ扱かれて
心身ともに鍛えられるのかなぁ~
と思いきや…
1年生では経験者の方が圧倒的に少なく
すぐにダレダレモードへ
辞めなかったのは
マネージャーが可愛かったから
だがし
体育会系のマネージャーだけに
一生懸命練習に打ち込んでいる奴の方が
格好良く見えるわけで(至極当然)
週3回ある練習で
1回出るか出ないかの某なんか
相手にされるわけもな
(ま…典型的なパターンですね)
高1の秋頃には部活そっちのけで
バイトに勤しんでました
そんななんちゃって剣道部員にも
活躍の場が到来
3年のとき…
インターハイ予選
勿論某は「補欠」
部員が少ないのと
「経験者」と言うだけで
切るに切れない「中途半端」なポジションですよね
予選当日…
いつも練習熱心な一人が風邪でダウン
某の出番が用意されてしまいました
開始数秒であっさり1本取ってしまい
そのまま2本目も決まり勝っちゃいました
その試合は
2勝2敗1分で本数も同じ
代表戦で決着をとなったんですが
部長(大将)が出るも
2試合連続というハンデから惜敗
結局その日に勝ったのは
ぼんくら部員2名だけ
某と某を剣道部に引きずり込んでくれたK君
流石にあの日の帰り道は
ほかの皆に掛ける言葉がなかったねぇ~
K君と2人…
皆と離れて帰ったもんなぁ~
そんなぼんくら部員の某ですが
2年の時に「2段」に昇段しちゃいまして
(ちゃんと練習しましたよぉ~2週間程根詰めて)
小4から続けた剣道もなんとか形にはなったかなと
大学では
始めて触れた「法学」「法律」が面白くて
色々辞典やら買って
挙げ句の果てには
暇つぶしに「小六法」を読んでましたね
もう忘れてしまってますけど
ただでさえ「英語嫌い」のくせに
第二外国語で何を血迷ったのか
「ドイツ語」をとり
男性名詞だの女性名詞だので
「メダパニ状態」
その大学で3本の指に入る
「単位をくれない先生」とまで言われた「経済原論」で
見事「優」を取ったときは嬉しかったっすねぇ~
ん
勉強嫌いの割には
一番勉強してなさそうな大学の時が
一番勉強の楽しさに目覚めていた
かもしれませんねぇ~
高校の時は
周りの奴らから「馬鹿にされたくない」って一心で
人前では勉強せず、数学の授業で英語の宿題をし
国語の授業に化学の化学反応式を覚え
英語の時間は英語をし
社会の授業でイラストを制作し
自宅で「予復習」をこなし
って
この辺が尋常じゃないんですよねぇ~
高1の終わり頃に出来た初めての彼女は
年上でバイト先のマドンナ
才色兼備でしたねぇ~
その彼女に認められたくて勉強してました
いずれにしても勉強をする動機が
不純の固まりですね
否
不純だからこそ勉強できたのかもしれません
今思えば…
もっと勉強しておけば良かったと後悔だけが残ります
こんな後悔…
しない方が良いですよ
学生の皆様方
テストの作問担当 [教育]
新しい職場に移籍して
約1年が経過しました
新天地では
今まで経験したことがない仕事
が舞い降りてきて
かなり大変です
言い方を変えれば充実してるんですがね
新たな仕事としては
今年度の中3対象の塾内テストの
数学の作問担当になりました
これがまた
想像以上に難しいんですよねぇ~
この度
第1回目のテストが実施されたんですが
そりゃ~もうあちこちから「難しい」の大ブーイング
大失敗のスタートです
一度は入試問題で見たことがあるような問題を
「入試ではこんな問題が出るからなぁ~」
って気持ちでチョイスしていったんですが
入試レベルの問題ばかりにしてしまうと
点数が取れないんですよね
中学2年特有の中弛み気分が抜けきらないとは言え
本当に難しかったのかなぁ~
と反省しまくりの毎日です
もうすでに
第2回の原稿を作成中なんですが
今回の結果を真摯に受け止め
「これだけは解けて欲しい」問題
「これ位は解いて欲しい」問題
「この程度ならどやねん」という問題
のさじ加減を巧くできたらなぁ~
と思い続けている某です
約1年が経過しました
新天地では
今まで経験したことがない仕事
が舞い降りてきて
かなり大変です
言い方を変えれば充実してるんですがね
新たな仕事としては
今年度の中3対象の塾内テストの
数学の作問担当になりました
これがまた
想像以上に難しいんですよねぇ~
この度
第1回目のテストが実施されたんですが
そりゃ~もうあちこちから「難しい」の大ブーイング
大失敗のスタートです
一度は入試問題で見たことがあるような問題を
「入試ではこんな問題が出るからなぁ~」
って気持ちでチョイスしていったんですが
入試レベルの問題ばかりにしてしまうと
点数が取れないんですよね
中学2年特有の中弛み気分が抜けきらないとは言え
本当に難しかったのかなぁ~
と反省しまくりの毎日です
もうすでに
第2回の原稿を作成中なんですが
今回の結果を真摯に受け止め
「これだけは解けて欲しい」問題
「これ位は解いて欲しい」問題
「この程度ならどやねん」という問題
のさじ加減を巧くできたらなぁ~
と思い続けている某です